マップ上を歩いて人と会話して、フラグが立ったら次のイベントが開放せれる。そういうのを、性懲りもなく作っています。そういうのは前回の自作ゲームで終りにしようと思っていたのに、これまたどうしたことか・・・。
アイテムを全部そろえて、キャラステータスを最高になるまで育て上げて、全てのイベントを体験する・・・そんなプレイスタイルのことを何と言うんでしたっけ?忘れました。
そういうプレイを可能にしようと思えば、自由度は低くなりますよね。全てのアイテムは、手を伸ばせば届く所にあって、二者択一を迫られることはなく、タイミングによる分岐もない・・・。その方がいいのかなあ。
どういうプレイヤーを想定するかにもよるんでしょうね。
プレイヤーが何度もやり込んでくれるのだとすれば、一回目で気付けなかったイベントに2回目で気付けて、何度もやりがいがある、とかがいいのかもしれません(周回制にはしないので〜周目とは言いません)。
まあ自分ごときのゲームをそうそうやり込んでくれる人は少ないだろうという現実を見れば、ひと通りさらっとプレイしてみて「こんなもんか」と、とりこぼしたイベントがある可能性を気にかけることもない、そんなプレイヤーが大半だと思ってよさそうです。
それだとしたら、それなら全てのイベントは出し惜しみしないで、適当に進めてもだいたい出現するようにしてもよさそうなのですが、それだと一本道感が出てくるのが悩ましいですね。
プレイヤーには自分の気持ちのおもむくまま好き放題にプレイしているように感じさせ、それでいて作者の意図通り、ラストに向けて避けて通れないイベントは外さず体験してもらう、それでも強制された感はない・・・。
そんなのがいいんですが、どうすればいいんでしょうか。
そういえば、こんな手品があります。
「1〜3の数字を選んで下さい」と言い、選んでもらったら「あなたがそれを選ぶことはわかっていました」と言う。
1ならマッチ箱に入った一本のマッチを見せる。。
2ならマッチ箱の中に書かれていた2という数字を見せる。
3ならマッチ箱の底に書かれていた3という数字を見せる。
「ほ〜らね」と。
ゲームの演出でもそういうことが上手くできればいいのですが。「好きな方を選んで下さい。あなたが選ばなかった方は、2度と見れませんが、でも人生もそんなもんだし、選ぶしかないのです。さあ、選んで!」というずぶとさも欲しいです。
でも選ばなかった選択肢って、もし選んでいたらどうなっていたか気になるから、直前にセーブでもしていようもんならやり直してみますよね。そしてそれは「そんなめんどくさいことさせるなよ」という気持ちにつながると思う。
それならいっそ、分岐は分岐と気付かせず、知らないうちに限定ルートに足を踏み入れさせるのが親切かとも思います。
けれどもそうすると、多くの分岐パターンを用意したにもかかわらず、「なんだ、一本道か」と思わせてしまい、その割にはラストに至るまでの情報提示などが十分でない場合も多くなるので、「説明不足でわかりにくいな」とか思われるリスクも高まってしまいます。
どうすればいいんだー、という堂々巡りは今後も当分続きそうです。
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ふぅ、寝る前にあなたのブログを見て良かった・・・
久々に新しい記事が立っている!
アイテムコンプに、全キャラのステータスMAX、これは やりこみプレイですね。
RPGでは特に、全てを極めようと1つのゲームをやりこむのは
プレイヤーとしてゲームの楽しみ方のひとつとして知られています。
その対極にあるのが、低レベルクリア、タイムアタックといった、
極力不利な状況下でゲームクリアを目指すプレイスタイルですね。
小説などの読書にしてもそうですが、再びそれに触れる・・・
ゲームでは、2周目以降も繰り返しプレイすることによって、
1周目ではよく分からなかったストーリーの流れが、
本質的な細かいところまで分かるようになるという。
ゲームを作る側としては、自分が作ったストーリーを
なるべくのことならば全部プレイヤーの方々に見てもらいたい
と思うのが本音。
しかし選択肢もなく、ガチガチに見せていたのでは、
ゲームとして肝心な「自由度」が下がり、
ある程度自分の好きなようにプレイするという楽しみが薄れてしまう。
そのへんのバランスを考えるのが、難しいところではありますね。
ありがとうございますアルボースさん。
そうなんですよねー。
それにしても、3カ月ぶりに記事投稿したのにその日のうちにコメントをくれるってすごすぎません?
第三者が見たら自作自演かと思うかもしれないくらいのすごさだと思います。
ぼく達が別人だということは、2人だけしか知らない・・・。
ありがとうございます。